オットを従えて?、近所にOPENしたスーパーに出かけようとしたとき 「カチャッ」 と、玄関の開く音?? 「こんにちは~」と、母の声??? 5月の連休明けに、救急車で運ばれて、退院して以来一ヶ月以上、 私は母とまともに顔を合わせていない… 理由は、いろいろあるけど、 最大の理由は、 母との距離を少し置くことが、私の精神を安定させ ひいては、母のためになる…という主治医のアドバイスを受けてのこと… でも、会わないといっても、私の心配が減ることもなく 近くで救急車の音がすると、胸はドキドキするし、 電話のベルにビクビクする… でも、そんな私のココロの内を知ってか知らずか、 母は、依存する相手を、私からヘルパーさんに代え、 それなりに、暮らしている様子だった。 それでも、母の担当のケアマネージャーさんの理解のもと 母の生活をヘルパーさんに託し、 「誰の世話にもならん!」と、病室のベッドの上で言い張った 母の自立を待っていた。 そんな中、 私は、なんとか自分のココロを安定させ、気力・やる気を出そうと 格闘している… はたから見たら、呑気に暮らしているように見える私だけど ね 母は、居間のソファに座り、「お願いがあるんだけど…」と、 今週、受診する病院に連れて行って欲しい、とのこと。 「ひとりで行くには、遠いんよね~~。ヘルパーさんは、行ってくれるって言うけど 悪いやろ~~」 私は、いままで、10年以上持病のある母の通院に付き添ってきた。 ムスコが、乳児のときから…ずっと。 そのことを、嫌だと思ったこともないし、当たり前だと思っていた。 なにより、大きな手術を何度もする母のことが、心配だった。 子供が小さい頃は、専業主婦だったし、働き出してからもパートだったり、 職場の理解もあった。(そういう職場を選んで来た) 母は、もう80に手が届く年、父も亡くなって、ひとり暮らしになった。 それに伴い、私も年を取ったし、我が家の状況も変わってきた… 今までのように、母の面倒を見るのも難しくなってきた。 父の死後、以前よりも増して、私に依存してくる母が正直疎ましかった。 父の突然の再発、入院、死…私にとっても思いがけない出来事。 父が入院してから、少しずつ私のココロは悲鳴を上げ、体にも支障が出始めていた。 そのことに、気がつかないようにして、父を見送り、母の世話を私なりにしていたつもり。 母に感謝してしてほしいとか、恩をきせるつもりもない… 年をとった母に、自立して欲しいと願うのは、間違っているのかもしれない… でも、何事も、自分ですることを拒み、子供のようになってしまった(それでも、プライドだけはあるんだよね)母に、私は心底、疲れてしまったんです。 二度目の退院のとき、私は主治医の診断書を添えて、横浜の弟に手紙を書いた。 いままで、ノータッチだった弟が、「母とのことは分かったから、自分のことだけを考えたらいい。」と、言ってくれた。 オットもそうしたらいいと、言ってくれた。 母をずっと診てくれている病院の先生も看護師さんも、退院のとき これから一人で暮らす母のために、介護付きの老人ホームを紹介してくれたりした。 でも、母は、拒否した。 あげくに、弟に「姉ちゃんは、私を老人ホームに追いやろうとしとる。私は、いままであの子に何の世話にもなってないのに…」 と、言い放ったらしい。(弟もわざわざ私に報告してくれた。こんなところが弟の気がつかないところ…) ショックだった。。。 私のココロは、またザワザワする…こんな私は、親不孝なんだろうか? 親孝行って、なんだろう?一緒に暮らすことが、親孝行なんだろうか?? いつでも、どんなときでも、手を差し伸べてやることが、いいのかな??? おなじ子供なのに、「だって、Y(弟)には、迷惑かけられんやん」と、 平気で言う 母。。。そんな母に平常心では、いられない私って。。。。 結局、今回の受診には付き添うことにして、家まで送り届けたが… 青い空に少しだけ、陰りがみえたような日曜日だった。 40も過ぎ、いい大人といわれる年代なのに、恥ずかしい限りです。 親との関係は、切っても切れないだけに難しい。 でも、親子だからこそ、ある日パッと晴れ渡る日も来る…と思ってもいるんです。
by hanabi827k
| 2006-07-10 13:43
| ひとりごと…
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